安曇野市議会 2022-12-12 12月12日-03号
この川は、大水が出れば黒沢川の水を犀川まで誘導する川であり、過去昭和58年、59年頃には台風があり、黒沢川小田多井堰、新堀堰が決壊して、小田多井、上堀、三郷住吉等に洪水が出て、田んぼが広範囲に流された経験があります。また、約40年ほど前になりますが、拾ケ堰を中心とする自転車道路コースの案にも上がりました。
この川は、大水が出れば黒沢川の水を犀川まで誘導する川であり、過去昭和58年、59年頃には台風があり、黒沢川小田多井堰、新堀堰が決壊して、小田多井、上堀、三郷住吉等に洪水が出て、田んぼが広範囲に流された経験があります。また、約40年ほど前になりますが、拾ケ堰を中心とする自転車道路コースの案にも上がりました。
黒沢川末流地域の58災害の内容は、黒沢川からの大量な水と土砂で、黒沢川の受皿となっていた堀金方面に流れる堀廻堰があふれ、その水が東を流れる、同じく堀金方面へ流れる新堀堰に流れ込み、その水量が多過ぎて、あふれたところが決壊したことによるものでした。 当時、私は旧三郷村役場の建設課に所属しており、村内の導水路の状況を見回りしていました。
このため、ひとたび大雨による洪水ともなれば、その受け先は、全く排水機能を持たない農業用水路、これは堀廻堰、あるいは新堀堰とも呼ばれていますが、この堰へ大量の土砂とともに流れ込み、農地はもとより、周辺の集落や堀廻堰の下流域にも大きな被害を与えてきたところでございます。
それから、堀金地区の扇町区新堀堰の清掃業務、それから、堀金地区の田多井農村公園清掃及び維持作業業務、それから、穂高地区の柏原農村公園、油川農村公園清掃道路沿い草刈り業務、穂高地区の草刈り業務ということで、圃場整備で道路用地として確保してある市有地部分についての委託でございます。
しかも、常日ごろ、その水の恩恵を受けている堀廻堰から新堀堰へ流れるべき水までも、あづみ野排水路へ流したんですから、下流域はたまったものではありません。まさに、これは「未必の故意」ということだと思います。 そこでお聞きしますが、市は現在この流域の管理体制と組織、それから堀廻堰にあります4つのゲートの操作、オペレーションについて、どのように認識しているのかお伺いします。
私は、光城山から十ケ堰、烏川、そしてそこから派生する黒沢や新堀堰などの市の土地、県の土地などを利用して桜や柳の植栽をして、新安曇野市の観光都市としてのイメージアップ、そしてまた、この安曇野市の売りにしてはどうだろうかというぐあいに考えるわけであります。